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2008年8月15日 (金)

終戦記念日

 平成20年8月15日(金) 終戦記念日
昨年の同じ日に同じ事を書いたと思いますが、私は戦争反対です。

とは言うものの、若かりし日は、「日本男児たるもの、お国のために戦って死ぬのが本望。最後は天皇陛下万歳と叫んで散って行く」と本気で考えていましたので、自衛官を目指していた時期がありました。

それが家族と言う守るべきものを持つようになって、更に世の中を学ぶうちに考えが変わりました。

戦争は絶対悪です。

戦争で敵の兵士を殺したら、その人は殺人罪に問われるべきであると考えます。

もっとも、私の性格や職業その他を詳しく知る人であれば、言っている事に矛盾があると思われるでしょうが、それは個人的にお会いした時にでもお話しましょう。

ところで「家族と言う守るべきもの」と言う書き方をしましたが、考え方が変わるきっかけになったのはそれだけではありません。

今から10年ほど前になるでしょうか、戦争体験を風化させないためにと言う事で、戦争経験者からお話を伺った事があります。

例えば戦前からずっと横浜在住の方は、昭和20年5月29日の横浜空襲を経験され、当時は今の関内駅近辺に住んでいたそうですが、空襲で家を焼かれ、母親に手を引かれて今の国道1号線沿いに戸塚まで逃げてきたそうです。

空襲で髪の毛や着物に火がついてしまった人達は次々と川に飛び込んだそうですが、川の表面は既に焼夷弾の油で覆われており、そこに火がついた人達が飛び込むので、たちまちに川は火の海になり、叫び声と悪臭の中に阿鼻叫喚地獄を見たそうです。

また今の保土ヶ谷駅のある辺りまでは、道路一面に焼け焦げた死体が転がっており、悪臭に何度も嘔吐しながら、それらを踏み越えて戸塚まで歩いたと語っておられました。

また大陸から帰還した人達も悲惨です。

特に若い女性は、ソ連兵に見つかると連れて行かれて暴行されるので、お洒落をしたい盛りにもかかわらず、皆髪を切って頭を丸め、顔に泥を塗って男のように見せかけて帰って来たと言います。

私が特に心を痛めた話は、大陸から帰還する船の中で、幼い子供を抱いた母親がいたそうです。ところが食料がほとんど無く、手に入れた食料は炊いていない米粒で、当然幼い子供はそれが食べられず、やがて弱って亡くなってしまったそうです。

その話を聞いた時の私には、やっと歩くようになった長男がいて、その話の子供と我が子がダブってしまい、胸を締め付けられるようでした。

しかし辛いのはその先で、船の中はただでさえ衛生状態が悪くないので、死んだ子供は海に捨てろと皆が言うそうです。

親の気持ちとしては、せめて日本に連れ帰って墓に埋めてやりたいと思うのは当然で、その母親は亡くなった子供をしっかりと抱きしめていたそうですが、誰かが無理矢理その子を取り上げ、海に投げ捨ててしまったそうです。

これらは実際に日本人が経験した事。

「火垂るの墓」という物語を見て涙する人もいますが、事実はそんなきれい事ではなかったようです。

そんな戦争が今でも世界の何処かで行われています。

ソマリアだったと思いますが、強い兵士を作るための少年兵という制度があるようです。

少年の頃から体を鍛えるというような物ではありません。

まず最初の任務は母親を殺す事。殺さなければその少年は殺されます。

母親を殺す事によって完全に人間の心を抜いてしまい、躊躇う事無く敵を殺す兵士を作る事が目的のようです。

何と恐ろしい話でしょうか。

戦争なんて映画で見るような格好の良さなんて全くないと思いますし、いつの時代も戦争で一番苦しむのは一般庶民です。

如何に国家同士の政治的戦略とはいえ、命の犠牲なんて絶対に認められないと思います。

だから私は事ある毎にこれらの話を誰かに語り、戦争反対を訴えていこうと思います。

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